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歴史に名を残す暴君になりそうな北の大王様

所沢のアクイユ矯正歯科クリニックです。

北朝鮮の金勇進副首相が姿勢が悪かったことを理由に銃殺されたというニュース。

http://archive.is/bBYEi

他に会議の席で居眠りをしたり、姿勢が悪かったりした場合は高齢の幹部であっても「不敬罪」ですぐに処刑してしまうそうでこれまでに100人以上の幹部が処刑されているようです。100人も幹部を処刑したら幹部なんて絶滅してしまいそうなものです。日本の国会議員から主要人物が100人もいなくなったら、、、それはそれで案外いい結果を生む、、、かもしれませんが・・・

ともかく、これでは幹部席=あの世へのロシアンルーレット、みたいなものですから誰もなりたがらないでしょうね。もっとも推挙されて「病気療養中」とか言って断ってもそれを理由に処刑されそうですから断れないでしょうけど。どこかの殿様みたいに鼻毛を伸ばして阿呆を演じるくらいしか方策は無いか。

ところで歴史に名を残した暴君とは如何なるものなのか、こちらのサイトでは3人を挙げています。

歴史上で一番の”暴君”って誰なの?歴史に名を残す暴君 三選!http://archive.is/yp25V

ローマ帝国 第5代皇帝・ネロ

皇位継承のライバルである兄を毒殺

皇帝の利権を我が物にしようと画策した母親を殺害

前妻を不倫の罪で自殺に追い込む

宴席でネロの悪口を言った咎で法務官職にあった元老院議員を処刑(他にも多くの元老院議員を処刑)

幼少時の家庭教師でもあった側近を自殺に追い込む

ローマ大火の罪をキリスト教徒に着せ、人類史上初めてキリスト教徒の大迫害を行う

*ちなみに最期は・・・「ネロと対立していた元老院は、ネロを「国家の敵」としガルバを皇帝に擁立する。ネロは逃亡しローマ郊外の解放奴隷パオラの別荘に隠れたが、騎馬兵が近づく音が聞こえるに及び、自らの喉を剣で貫き自殺した。その際自分では死にきれず奴隷に切らせたという」とありますからまあ、自刃しなくとも処刑されていたでしょうね・・・天寿を全うせず・・・

室町幕府 第6代将軍・足利義教

東坊城益長が儀式の最中ににこっと笑顔を作った。義教は「将軍を笑った」と激怒し、益長は所領を没収された上、蟄居

一条兼良邸で闘鶏が行われ、多数の人々が見物に訪れた。そのため義教の行列が通ることが出来ず、激怒。義教は闘鶏を禁止し、京都中のニワトリを洛外へ追放した。

信長に先駆けること140年前に延暦寺を初めて攻撃し、最後は僧侶24人を焼身自殺させる

比叡山根本中堂の炎上に関する噂をすることを固く禁じ、その禁に触れた商人は斬首

酌の仕方が下手だという理由で侍女(少納言局)は激しく殴られ、髪を切って尼にさせられた

説教しようとした日蓮宗の僧日親は、灼熱の鍋を頭からかぶせられ、二度と喋ることができないようにを切られた

将軍の力を高めるため、守護大名の家督継承に積極的に介入し、従わない大名に対しては刺客を送って暗殺

*日本の暴君と言えば私なんかは武田信虎(武田信玄の父)が真っ先に思い浮かびますが漫画の読み過ぎでしょうかw それはともかく義教の最期は・・・「赤松満祐から「鴨の子がたくさん生まれたので、結城合戦の祝勝会もかねて見に来ませんか」と屋敷に招待され、そこで首をはねられてしまいました」・・・天寿を全うせず・・・

随 第2代皇帝・煬帝

一夫一妻意識の強い厳格な母に生まれる。奔放な兄である皇位後継者が母に嫌われていたため、これを利用して自殺に追い込み自らが後継者となる。即位後の煬帝は豹変してやりたい放題。私生活では女色におぼれ贅沢の限りを尽くし、朝廷に刃向う者に対しては見せしめとして残虐な刑罰を与える

謀反を企てた楊玄感(煬帝を擁立した楊素の息子)を九族に至るまで処刑

100万人の民衆を動員して行った華北と江南を結ぶ大運河の建設。女性までも動員した急工事だったうえに、開通のデモンストレーションとして自ら龍舟に乗って行幸を行ったことで民から大きな反発を受けた

*中国は中華思想(中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方)がありますから周辺諸国からすれば現在の習近平なんかんも暴君なんですけどね。

wikipediaによると中国史を代表する暴君だそうです。「King of 暴君 in china」が煬皇ってことなんでしょう。もっとも世界の暴君BEST10をあげつらうと全部中国人になる気がしないでもないですけど、それにしては案外と個人的な恨みつらみによる殺害は(少なくとも記録上は)少ないですね。

なんだか案外良い人に感じてしまうのは、暴君についてあれこれ調べている小一時間の間に「良い人」への閾値が相当に下がってしまったようです。この程度のことなら日本の戦国時代でも日常的に有ったんじゃあないの?って感じです。

ちなみに最期は「兄を失脚させ、父を殺して即位。東都や大運河建設などの土木工事高句麗(こうくり)遠征などで人民を酷使したため各地に反乱が起こり、臣下の宇文化及に殺された」・・・天寿を全うせず・・・なんか、思ったほど暴君じゃないというか、これが暴君なら織田信長も豊臣秀吉も立派な暴君ですね。個人的には戦国大名=やくざ、という認識で完結しているので驚きもしませんが。

 さて、歴史にその名を残す暴君諸氏と比較しても遜色ないというか、遥か先を悠然と航海しているように感じる北の大王様。とりわけ「個人的な感情で生殺与奪を敢行していることが多い」という点では過去に例を見ない大暴君と言って良いでしょう。

・・・天寿を全うしたら驚きです・・・

 

written by 所沢、東村山、清瀬 近くのアクイユ矯正歯科クリニック